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【三国志】透明人間の王表、馬超を倒した閻行、関羽の部下の呂布……とは誰?

正史の三国志に登場する人物は3700人以上とされています。また、後漢書に記載されている後漢末期の人物を加えると、さらに多くの人物が三国時代近辺にいることになります。
しかし、文芸作品などで一般的に知られている登場人物は、その中のごく一部に過ぎません。
三国志演義の登場人物数は約1500人で、コーエーの三國志11の登場武将数は670人です。

しかし、ほとんど知られていない人物にも、意外なエピソードがあったりします。
あなたは、このスレッドに出てくる人物を、どれくらい知っているでしょうか?



1:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2006/10/24(火) 15:55:46 ID:8FdeExwZ0

劉備、関羽、張飛、曹操、呂布・・・
綺羅星の如く語られる英雄とは別に、名前は出るものの
いまいち世間の評価が低いんジャマイカと思われる、
三国時代のマイナーな英雄について語ろうじゃないか。

漏れ的に法正は相当評価高し。



8:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2006/10/26(木) 17:26:46 ID:cegd77XK0

法正はそれほどマイナーでもなかろう


11:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2006/11/11(土) 21:19:55 ID:wV+NwvUi0

横山三国志で顔で判別が就かない人がマイナー


12:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2006/11/12(日) 02:10:21 ID:lRsQV6Vp0

正史では趙雲に次ぐと評価される割に演義に登場しない陳到とか・・・
しかし事跡がよく解らんから発展しようがないか


13:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2006/11/12(日) 10:18:03 ID:UXI4PZz0O

馬氏の五常、司馬家の八達

出てこない人は何したんだろう?


16:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2006/11/12(日) 20:41:58 ID:x6eR5PFV0

【三国志】マイナーな人物を語る【周、斉、梁】

ならたくさんいるのに・・・。


17:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2006/11/12(日) 22:08:35 ID:rRQd8kp10

公孫淵の有名ぶりは異常


18:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2006/11/12(日) 22:36:57 ID:8GYJCOeZ0

しゃーないよ、日本との関わりがあるから。


29:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2006/12/02(土) 11:11:08 ID:XUq23JgkO

前田慶次みたいに漫画になればいいんだよ。
武力が呂布並みになって一躍有名武将の仲間入り。
素材?有名じゃなきゃ誰でもいいよ。


40:[sage]:2006/12/15(金) 19:36:06 ID:Yc1HRYmL0

雍州で活躍したホウイク。
魏志に立伝されてるのに、
なぜか演義には出てこない。
おまけに、姓も諱も表外字(T_T)


42:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2006/12/18(月) 20:42:41 ID:KzUGPMYy0

祖郎
丹陽の兵を率いた孫策に全滅近い被害を出させる


54:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/01/27(土) 20:58:25 ID:z+EANb8z0

管寧語ろうぜ
華キンと交流のあった

厳顔といっしょに正気の歌に名前で出てくる


57:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/02/01(木) 21:25:17 ID:+OXG25i90

管寧
はっきりいって華キン、王郎より格上でしょ
ジョウ平に亡命して公孫一族から一目置かれていたんだから


71:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/05(月) 00:58:52 ID:OdyMQecrO

追記

三国末期の華 張悌も

丞相が敵に特攻し戦死ってかっこ良すぎる


72:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/05(月) 04:09:20 ID:BDjOtD+Q0

陳到が出るなら句扶も。 王平に並べられるって物凄いぞ

高順もかなり好きだ。 ポジション的にマイナーって有り得ないはずなんだが
あまり好かれていない気がするのは きっと何故か張遼が女性人気あるからなんだろうな。
張遼より高順のが人格的にはずっと上だし能力も高かった。


75:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/06(火) 01:39:23 ID:EpFO/yUI0

>>72
やっぱり潔すぎるのも損だね。
高順なら頭下げて生き残ってさえいれば、袁紹戦や馬超戦など手柄を立てる機会は
いっぱいあっただろうに。


78:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/07(水) 09:37:16 ID:D5Lib5420

張達と范彊

張飛の副将格なら相当実力があったんじゃないだろうか。


79:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/08(木) 14:10:32 ID:qGxJjb+OO

曹鑠(字、生没年は不詳)
:曹操の次男。母は劉氏。病弱で20歳前後で死亡。取り立てて業績はない。強いて言えば曹操に初孫の顔を見せたこと。

曹沖(倉舒)
:曹操の八男。母親は環夫人。十三歳で病死。頭の良い天才児で曹操に愛された。


マイナーと聞いてこいつらとホウ統の名前がふっと浮かんだ。


81:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/03/12(月) 01:32:50 ID:g7WBBKCN0

朱然

安徽省の馬鞍山ってところに行ったとき、地元の人の案内で
このひとの墓を見に行った。
保存状態が、非常によかったんだが、聞く所によると三国時代(後漢末期)
の英雄らしい。
みんな知ってる?


82:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/12(月) 01:58:04 ID:lh+OdwRx0

↑超有名と言わずとも、有名に入る部類だと思います・・・

っていうか朱然文化公園は一度は行ってみたいわー
朱然も孫権もかなり好きだし


100:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/03/29(木) 21:09:19 ID:51BAvV960

朱治の姉の息子にして、朱治の義理の息子でもある朱然

彼の父親、つまり朱治の姉の最初の夫の名前が分かる人いませんか?
色々資料をあたってみたのですが、どうしても分からなくて……

朱然の元の名が施然であったことを考えると
施~という名前だと思うのですが

>>81
朱然の墓には世界最古の名詞があるらしいです
結構有名な観光地らしいですね


104:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/03(火) 20:47:58 ID:YURx6+3x0

>>100
う~ん・・・現存する資料には名前は残ってないんじゃないかな?


85:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/16(金) 23:55:06 ID:vPYZwVxh0

閻行とかどうかな?

てかマイナーな人物について語るってのはなかなか難しいな。定義もよくわからんし。
探せば伝のないマイナーやつはゴロゴロいるが資料が少ないから語りようがない。
だからこそおもしろいってのはあるが。

とりあえずマイナーではないが一番名前の出てる高順について語ってみる?
もしくはアンカで決めるとか?w
閻行は別名を閻艶といい、韓遂の部下だった人物。馬超と一騎打ちになったときに、「閻行は馬超を矛で突き刺したが、その矛が折れてしまったので、残った柄で馬超の首を締め上げ、半殺しにした」と史書に書かれている。


87:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/17(土) 02:02:44 ID:mRlz17BT0

田豫はもうマイナーではないだろうな。
光栄のでも7番辺りでやっと出してくれた。


91:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/19(月) 02:44:09 ID:hA2U7mCF0

>>87
いやマイナーだろw俺も公孫サンの配下で劉備と行動を共にしてたぐらいしか知らないしw


92:[sage]:2007/03/19(月) 17:14:43 ID:BIO1HBNW0

>>91
[希β]慮も田豫も魏志に
立伝されてますが、何か?


95:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/21(水) 00:49:13 ID:XrV6buJy0

>>92
[希β]慮は伝ないでしょ?


97:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/21(水) 04:34:31 ID:OgA34e4h0

>>95
探したけどなかったよ。田豫はあるが。


96:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/21(水) 01:20:16 ID:XrV6buJy0

>>91
この台詞は武帝記建安十九年十一月のくだりの注にある。
あとは後漢書かな?孔融と罵りあったりとか、いろいろ。


97:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/21(水) 04:34:31 ID:OgA34e4h0

>>96
あった!!チリョって読むんだな。後漢書のほうも発見した!サンクス


89:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/18(日) 02:52:46 ID:aSIsvbm/0

おまえら・・・わざとケキ慮の事無視してんのか?
献帝曰く「ケキ公、天下にこのようなことがあってよいのか!」


99:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/03/25(日) 14:37:47 ID:TrR/o03jO

そいつは資料無さ過ぎだろw

そういえば昨日さ、光栄三国志やってたのよね。
んで車冑の人物列伝見たら、車騎将軍ってなってたんだが、これは演義の話か?
演義が手元に無くて調べられないんだが、車騎将軍とか車冑凄すぎだろw


102:[]:2007/03/30(金) 17:06:42 ID:tCAD4W8S0

>>99
徐州刺史に任ぜられたのは
確かなんだけどねえ>車冑


104:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/03(火) 20:47:58 ID:YURx6+3x0

>>102
うん、やっぱり徐州刺史としかわからないよな。将軍職の記述も見つからないし。
これはコーエーの罠とみるべきか?


103:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/04/03(火) 19:47:02 ID:qzGUIFRRO

戦乱の傷深い徐州の刺史に任ぜられるなんて、後の揚州刺史劉馥を連想してしまうんですが、実は大した実務官僚なんですか?車冑さん?


106:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/04(水) 19:36:07 ID:wKJtNhKR0

なんともいえないけど車冑は実は名門や名士だったりするかもな
劉備に殺されなければ魏の重鎮になってたのかも


107:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/04(水) 19:37:30 ID:wKJtNhKR0

ちなみにwikiには

曹操に仕え、車騎将軍に任じられた。劉備が曹操のもとから離れたとき、その監視役を命じられた。劉備が袁術を滅ぼした後、曹操へ反旗を翻したとき、劉備の襲撃を受けて徐州を奪われ、一族すべて殺害されてしまった。

と書いてあった


108:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/04(水) 19:41:03 ID:wKJtNhKR0

と、ここまで書いて思ったが当時の曹操に車騎将軍の任命権あるのか?
まだ丞相になってないし董承もいたような気がするが


111:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/05(木) 00:50:01 ID:jTNTq2vkO

>>108
そう!そうなんだよ!!だから変だと思ったんだよ。
wikiといい光栄といい、いったい何を見て車騎将軍としたんだろう?


112:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/05(木) 01:01:06 ID:B9baB02dO

どこかに「車将軍」とかいう表記があるんじゃないか?
それを見てバカが…いや誰かが車騎将軍と誤解したとか


114:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/05(木) 04:19:21 ID:jTNTq2vkO

>>112
紛らわしいからありえそうだなw
なにせ袁術の国号を成だと勘違いするようなおばk・・・えーと、おっちょこちょいさんだからな>>光栄


113:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/05(木) 01:12:18 ID:vWnViLgK0

実は曹操に仕えていたわけではないのでは?
ただ、曹操から圧力をかけられると断れない立場だっただけで


114:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/05(木) 04:19:21 ID:jTNTq2vkO

>>113
車騎将軍であった事を前提とするなら、間違いなく臣下ではないだろうな。
他に考えられるのは、親曹操の朝臣ぐらいかな?


115:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/05(木) 05:45:37 ID:vWnViLgK0

ネットで調べる限りじゃ全然分からないね
右車騎将軍、左車騎将軍、行軍車騎将軍の三種類があるみたいだけど……


116:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/04/05(木) 20:22:41 ID:B9baB02dO

車冑が徐州刺史だけでなく車騎将軍だった根拠はまるで見つからないね
董承の事と混ざったのか、「車将軍」→「車騎将軍」みたいな脳内変換があったのか、どっちにしろ初歩的な誤読かな
それとも演義じゃ車騎将軍なのか?


118:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/04/05(木) 23:38:59 ID:vWnViLgK0

徐州刺史ってどれくらい重要な役割だったんだろ?
車騎将軍がやらなくちゃいけないような大任とは考え難い気がするけど


119:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/06(金) 00:28:51 ID:OU6J7UqkO

>>118
けっこう重要なんじゃない?>>徐州刺史
だって曹操・陶謙・袁術・劉備・呂布(おまけで筰融・臧覇)が戦争でめちゃくちゃにした地域なわけだし。


125:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/12(木) 20:46:35 ID:CC11Lb2Q0

戦乱の場合には激戦地に飛ばされるってのは能力を買われてって意味になるんじゃね?
権力闘争で飛ばされることもあるだろうけど曹操時代は独裁に近そうだからやっぱり能力だと思う


133:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/05/07(月) 23:33:21 ID:KSKASsK+O

車冑について調べてみたが記載は蜀.先主伝のみ。車騎将軍の車の字もねぇw

独立した伝があるのに扱いがヒドいのは魏の文官に多いな

韓曁,徐バク,恒階,崔[王炎],鄭渾,杜畿……
出てくる出てくるww

個人的には荀粲が大好きだ


105:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/04(水) 13:25:19 ID:budX8zKf0

麴義は界橋の主役。
彼は正面に障害物を設置し両翼に石弓部隊を配した。
公孫サンの精鋭騎兵部隊の衝撃力を障害物によって弱め
そこに石弓部隊による突撃粉砕射撃によって公孫サン軍を敗走させたのである。

この戦術は後の諸葛亮が踏襲し魏の騎兵突撃をしばしば粉砕した。


123:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/04/06(金) 14:02:00 ID:SardWWMq0

>105 麴義の実績って注釈だよね。 
顔良と文醜はろくに功績も記されていないのに勇名が高いって事は麴義のそれ以上だったんだろうか。
袁紹や袁術とかの配下として死んだ人ってみんな記述が薄いけど。 
趙雲も張コウや朱霊ぐらい記録されていればよかったのに


117:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/04/05(木) 20:59:42 ID:zA3ZxK2w0

張任は?
劉障軍の武将で龐統を殺して諸葛亮も捕えるのに苦労した人。
捕まっても唯一「忠臣二君に仕えず」といって処刑された人、劉備はその忠義を惜しんで金雁橋に墓を作ってあげて今もあるってさ。
彼が劉備に降っていれば蜀の代表的な武将にもなれたと思う。
雒城から打って出た時には魏延や黄忠をも退けたことがあり、冷静な武将。


130:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/05/01(火) 22:08:52 ID:QN3+UBahO

賀斉はどうだろう。呉の異民族対策には欠かせなかったとか。


131:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/05/02(水) 14:22:16 ID:fYUizwWa0

賀済は何つっても、徐盛が負けた時、彼の旗指物を取り戻して、その名誉を守ってやった話が格好良い。


132:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/05/02(水) 19:36:13 ID:vrM2sMQZ0

軍装を凝らしていたというし、美意識が高い人物だったのかも


136:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/05/14(月) 13:21:05 ID:Oprp6DzRO

羅憲が割と好き


139:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/06/16(土) 21:58:33 ID:h8+cR6PY0

>>136
羅憲いいよな。
蜀滅亡のどさくさに紛れて侵攻してきた呉の軍勢を迎え撃ち必死の抵抗。


152:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/07/12(木) 00:25:52 ID:2EpxDcYN0

羅憲は蜀と魏と晋に仕えたせいで、演義的正統論に合わず
出番なしでマイナー降格された。実際の仕事はメジャー級


266:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/02/14(日) 22:03:22 ID:LTKV31iT0

姜維のどこがマイナーなんだよ
裏で凄まじい活躍してた羅憲こそもっと評価されるべき


267:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/02/15(月) 14:58:42 ID:TGOlQWU20

似たようなことをやっているのに
さらにマイナーな吾彦こそもっと評価されるべき


299:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/04/06(水) 20:07:49.67 ID:hWH77eTmO

羅憲は?
マイナーだけど呉の丁奉ら相手に一歩も引かなかった
王平と羅憲好きだわwww


304:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/27(金) 12:35:35.71 ID:aNn3zU7z0

>>299
蜀滅亡戦自体、三国志の中では日陰の方だからね
王平は、街亭戦が多分一番語られてる場面だろうか
優秀なんだが、「使えるモブキャラ」っぽい立ち位置なのが残念でならない


140:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/06/16(土) 22:50:23 ID:vE1ogSck0

濮陽興はどうだ? 孫休が帝位につかなければ丞相にはならんかっただろうけど


141:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/06/18(月) 02:37:42 ID:gBU9Q/iR0

濮陽興は…大口叩くが全て計画倒れの人物ってイメージがあるな。
ダム建設にも失敗してるし、孫[糸林]殺したあたりが最初で最後の見せ場だったな。

楽隠居して研究しまくりの孫休に、自分達を嫌う韋昭が近侍するのを警戒するあたりは、
マジで小物だと思った。


142:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/06/20(水) 00:13:13 ID:8S9XdKqk0

蜀の李恢

こいつは地味だが、かなりいい活躍をしてる
影の功労者よ


145:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/06/20(水) 23:16:54 ID:tIT/Ms/+0

>>142
彼がいなかったら北伐がもっときつくなっていただろうなあ
むむむのイメージが強いけど、実はバリバリの武将だよね


184:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/01/07(月) 18:56:55 ID:zlmMX/gh0

マイナーではないが、実績に応じた知名度とは言えない李恢。

蜀漢の南征の成功は、発令者の孔明ではなく、実戦指揮の李恢のおかげだというのに。


149:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/07/11(水) 18:19:33 ID:D+yzIuOX0

誰か夏侯博のことを知ってる人いないか?
手元の資料には劉備の武将で、官渡の戦いの直前に曹操に生け捕りにされたとしか
書いてないんだが


150:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/07/11(水) 20:29:24 ID:YZUWL+Cx0

夏侯博は武帝紀のその部分に出てくるだけじゃないの?
個人的には蜀の大尉・上官勝が気になる
新唐書に突然名前が出てくるのがヘン


153:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/07/12(木) 00:53:38 ID:2EpxDcYN0

夏侯博は史料なくて語れんな

以下おれの妄想
夏侯博は曹操と劉備の関係が良好だった頃に
曹操が劉備につけた監視役。武帝紀の「生け捕り」は
実は劉備が夏侯博を開放してやった事を指す。

『秘本三国志』ばりの八百長史観からだと説明しやすい。
ヤオをガチに見せかけるため、車冑は犠牲にできても
曹操ゆかりの夏侯氏を殺す事は当時の劉備にはできなかった。
その代わり劉備の家族や関羽の安全は曹操が保障した。

妄想終了。ウィ紀に「一説では・・・」とかで上の話を書くのは無しでよろしく


154:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/07/12(木) 18:30:08 ID:dI1irm5v0

郤正
当代の文章家なのに、演義で劉禅の腰巾着の役しかもらえず。
羅憲といい、蜀の旧臣で魏晋に仕えた人物は演義的正統論のせいで
マイナー落ちさせられるな。蜀を出ていい仕事をすればなおさらだ。


155:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/07/13(金) 20:21:47 ID:j/PDxd2q0

孫謙というやつが気になる。この名前の人物は3人いて、
①曹爽の武将、②孫晧の異母弟、③孫静の子
俺が気になるのは③の孫謙で、孫暠・孫瑜・孫皎・孫奐らの兄弟のはずなのに
手元の資料には「孫静の子(孫静伝)」としか書いてない
独立した伝がある孫瑜・孫皎・孫奐や、反乱未遂のある孫暠に比べて記述が少なすぎる気がする
孫奐の死後、後を継いだのが孫謙でなく、孫奐の息子の孫承なのも妙だ
いままで孫瑜→孫皎→孫奐と兄弟相続だったのに、突然親子相続に変わっている
孫瑜・孫皎・孫奐の字が仲異・叔朗・季明で間に入ることができないので、多分末弟だろう
字の記述が無い孫暠が末弟とも考えられるが、反乱未遂の時期と年齢があわない
孫奐は234年に40歳で死んだらしいので、194年の生まれということになる
194年より後に生まれた人間が、孫権が後を継いだ200年前後に反乱未遂を起こすとは考えにくい
なぜ孫奐は末弟のはずの孫謙に後を継がせなかったのか…
と、ここまで長々と書いてふと「単に早死にしたか無能だったんじゃないか?」と気付いた
必死こいて足りない頭使ってた俺完全に馬鹿。長文すまん
正史買わないとな…


171:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/09/12(水) 21:11:28 ID:4NfS/WA80

孫観
臧霸とは黄巾討伐時代からの同僚。臧霸と共に呂布に加担し敗北後曹操に招聘される。
臧霸と共に青州・徐州の戦で功を上げ臧霸は徐州刺史となり孫観は青州刺史となる。
曹操に従軍して濡須口で呉軍と奮闘するも矢傷が元で死去。


172:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/09/12(水) 21:27:36 ID:niwCuLQsO

董和、董允親子
この親子がいなければ費偉は出世できなかっただろうし、諸葛孔明死後、早い段階で国が滅んでいた気がする。
董允、費偉の友情が漢を長続きさせただろうに費偉に較べて評価が低すぎる。


173:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/09/16(日) 08:42:07 ID:hHScscNl0

>>172
ヒイよりも劣ってるような逸話があるのが原因だろうな


174:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/09/16(日) 11:42:57 ID:x/WjFRss0

ヒイが一週間サボったからその間の政務を代理でしたら滞ったんだっけ


175:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/09/16(日) 12:42:14 ID:i3fGnDQp0

>>174
費禕が尚書令時代に、仕事をきっちりこなしながら空いた時間で遊びまくってたのを見て、
自分も尚書令になった時に同じ事をやってみたら、10日で仕事が滞ったって話。


176:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/09/16(日) 17:18:17 ID:GlCxD1cT0

宦官=黄皓を朝政に介入させなかったという天で、費イよりも人を見る目があったっぽいね。
ただ、君主に気に入られる術は費イや陳祇の方が長けてたっぽいけどw


178:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/11/11(日) 22:22:10 ID:aMg5Pl+J0

董允は親父にも費イの方が優秀だとか言われてカワイソス。
遊び好きで要領のいい費イに振り回されてるカタブツという感じ。


177:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/09/20(木) 03:36:10 ID:CP1sLlmN0

韓遂は何気に、物語の良い題材となると思う。
傀儡を演じ続けながらも大志を抱いていた男、というような感じで。


197:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/04/19(土) 08:43:52 ID:DJA0oJiI0

>>177
確かに。もし俺が漫画家なら韓遂を主人公にした作品を作りたいw
あと楊奉もなかなか面白い。バカ正直過ぎて泣ける。

てか、つまらんことだけど、傀儡の意味間違ってね?
韓遂はどう考えても操っていた側なんだが。


242:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2009/08/23(日) 04:05:12 ID:y/uAmpcs0

個人的には韓遂が好きだな
協定と裏切りの間で暗躍した後漢三国時代の梟雄

名前すらまともに伝わってないしw


249:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2009/09/05(土) 00:40:07 ID:dxpB8/va0

>>242
元の名前は韓約?だっけ? 辺章も改名後の名前だよね
武帝紀かどっかで、韓遂だけ名前がバレてて笑った記憶がある


186:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2008/02/19(火) 14:37:50 ID:hCuI97IFO

郭循は魏が蜀に送った刺客だったんかな?
それとも偶然の結果?
史書にはその辺の背景や作者の推測とかも書かれてないん?


187:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/02/19(火) 17:07:55 ID:3HJhGAff0

>>186
郭循は蜀に仕えて左将軍にまで昇進してるから、
結構長く蜀に仕えていたのではあるまいか。
費イを殺害するためだけに送りこまれたにしては、
官位が高すぎる。

左将軍は一朝一夕に就任できる職ではない。


189:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/02/19(火) 18:42:25 ID:dATZcJbr0

左将軍とは知らなかったな。その上は車騎・驃騎だから相当な高官だ。
三少帝紀の注には、姜維が郭循の本籍の西平に攻め込まれて
囚われ帰順したとある。
姜維が西平に侵攻した記述があるのは250年で、費イが暗殺されたのは253年。
それが正しいなら(他の時期かもしれない)元々名声高い人物だったんだろう。
不慮のことで投降を強いられながらずっと機会を伺っていたのなら大したものだ。


190:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/03/01(土) 21:36:47 ID:xC8FSMUU0

郭循の事は、降将を近侍させ、無礼講(帯剣・護衛なし)で泥酔した費イの無思慮に原因だと思うよ。

母国を裏切るという恥辱に遭わされた降将の目の前で、敵国の宰相が泥酔してるんだぜ。
何度も繰り返されれば、殺す機会をうかがわない訳もなく。

費イとしては、自分の声望を高めたかったんだろうけどね。


194:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/03/10(月) 22:22:49 ID:wb9xwQ2S0

郭循は魏では郎中だったのに、
蜀では左将軍にまで昇進してるから、
蜀に恩義を感じこそすれ、
恨む筋合いは無いと思う。


195:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2008/03/15(土) 21:23:44 ID:mT1zF1Od0

マイナーだがちょっと印象的な群雄たち。

長沙太守の張羨。曹操と組んで劉表の背後を脅かした。
桓階が部下にいたりする。

交州刺史の朱符。朱儁の一族っぽい。ちなみに予章太守の朱皓もこの一族。
朱符は朱皓の仇を討つために出陣しようとして牟子に諌められたらしい。

宋建。河首平漢王を自称して瀧西郡に三十年以上割拠するが夏侯淵に討たれた。

孫策から逃げた王朗をかくまった会稽郡は侯官県長の商升。

江夏太守の劉祥。劉巴のオヤジ。孫堅パパと共闘。袁術配下の劉詳って同一人物??

南匈奴の有力者な於夫羅と去卑。張楊を拉致して連れ回したり、献帝を助けてみたり、
蔡文姫を拉致って息子に娶わせたり。

陳王の劉寵。黄巾を震え上がらせた弩の名手。部下の駱峻は駱統のオヤジ。


199:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2008/05/06(火) 20:16:38 ID:hssQPoOL0

ここまで来て、劉循がでていない


200:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/05/06(火) 20:25:45 ID:UQAArG840

>>199
劉備軍を一年にわたって足止めしたんだよね。
後の蜀の人材枯渇ぶりを思うと、
彼を用いたら、もう少しどうにかなったんじゃないかって気がする。


202:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/05/16(金) 18:33:16 ID:sUbor+4MO

マイナーか知らないけど袁家の跡継ぎ達って長男以外愚息ってわけでもないな。
分裂したわりには袁尚、高幹はかなり粘った。
あと審配は政治的な所はおいといて軍事的な面では超優秀。
ギョウ城籠城戦とかすごいよ、すごいよ!負けたけど。


203:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/05/23(金) 17:30:06 ID:43P9O3ry0

>>202
高幹はもっと評価されてもいいと思うんだよね。


204:名無し様@お腹いっぱい。[]:2008/06/13(金) 21:47:14 ID:MKVJm1qV0

劉封かな。同音の劉邦は時代こそ違うが大徳のある男で有名。
たしか劉備の養子で、関羽が死ぬ麦城の戦いで関羽の援軍要請を断り、ついに雲長を見殺しにした。
ファンにとっては憎まれる存在だ。
正史では関羽を見殺しにした後は、仲の悪い孟達が魏に降るとその討伐に力を注いだ。
演義では孟達にそそのかされて関羽を見殺しにしたことになっており少しはましになっている。
だが劉備の養子にもかかわらず、劉備によって処刑された。
これはものすっごく地味な死に方だ。
羅貫中も、もうちょっとましな死に様を用意すればいいと思うのだが。
まぁ所詮マイナー武将だから仕方ないかぁ。


205:名無し様@お腹いっぱい。[]:2008/06/13(金) 22:51:55 ID:5/XUfj8M0

もうひとつ。
正史には登場しない演義のみに登場する人物で劉安という者がいる。
実はものすごい逸話がある。
劉備が呂布に破れ、逃亡していた時、この劉安に匿ってもらった。
最初、劉安の妻が劉備をもてなしていた。
しだいに居なくなり、代わりに劉安が狼の肉と言って肉料理を出した。
 
劉備は肉料理を堪能。翌朝、劉備が劉安の妻について聞くと、
飢饉のせいで獲物がとれなくて困っていたが、
かの有名な劉備を持てなしたいがため、なんと妻を殺してその臀部の肉を使ってもてなしたと言う。

劉備は驚いたという。そこでお詫びの印に劉安の息子を養子としている。
それがあの義兄弟の契りをかわした関羽を見殺しにした劉封、その人であった。
なんとも皮肉な話だ。実の妻を殺し、その因果は断ち切ることなく続く。

ちなみにこの演義のみ架空の人物・劉安と同姓同名の劉安という前漢の学者が居る。
この劉安は「一人が道を得れば、鶏や犬も天に昇る」と言う中国のことわざで有名。
たしか一族の内の誰か一人が出世すれば、能力のない親戚や側近の者までも地位があがるという意味。


207:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/13(金) 23:00:02 ID:lrEt8vn70

>>205
それ間違い。演義のどこをどう読めば
そんな珍解釈が出てくるんだ?
劉安と劉封は無関係。


209:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2008/06/17(火) 22:15:46 ID:KPw7zRYS0

王甫が好き
演義しか知らないから正史ではどうかわかんないけど
関羽に別れを告げるところがかっこよすぎ


212:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2008/07/17(木) 06:19:12 ID:tQER5E8EO

黄権、王累の旧劉璋コンビ。
張任のような京劇の花形でもないし…。
エピソード的には、いいと思うんだけど。
でも陰というか暗がつよいかな?


213:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2008/07/24(木) 21:57:34 ID:D2onZBnB0

やはり満寵だな、曹仁を補佐して関羽の猛攻からハン城を死守。
また呉に対しても赤壁の意趣返しの火攻で勝利している
なにげに凄い奴というのはコイツのことだろう


215:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/07/25(金) 09:53:53 ID:bgphO3Vr0

満寵はメジャーだと思うが


216:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/07/28(月) 02:11:44 ID:/ADD9bIb0

李豊三人衆のうち、魏の李豊の父の李義
李カク討伐したのにマイナーな裴茂とその子の裴潜
なかなか華々しい経歴なのになぜか知名度がない傅燮・傅幹・傅玄の三代


227:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2008/11/12(水) 20:05:42 ID:zq3L83KU0

裴茂って関中諸軍を統率して李カクを討伐したって確かあったよね。
そう考えると統率とか策謀に優れた有能な人材ってイメージがある。

こういう人を数値的に評価したらどうなるかなってマイナー武将の
能力を考えるとちょっとワクワクする。


217:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2008/10/02(木) 02:12:24 ID:ZMuzFOzT0

韓当の息子。呉を策を使って裏切った後、呉にたびたび損害を与える。
孫権にかなり憎まれるが、長い間呉に打撃を与えつずける。(少しだけど)
その軍才(?)と土地勘(?)を買われ呉攻めの先鋒を任されるが、
呉の猛攻により討死。派手な活躍は無いが、なかなかの人物であることが
読み取れる。


231:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/11/17(月) 03:19:11 ID:JHi80zMb0

劉敏も家柄良いな
でも王平を助けてるし良い奴だ


232:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/11/17(月) 14:30:46 ID:YvZlELyI0

蒋エン時代の漢中において、王平と共に職務をこなした良将だよね。


233:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2008/12/08(月) 21:03:43 ID:c2ijdRGS0

マイナーといえば袁紹軍の李孚とかは面白い存在だね。相手の心理を良く
見通した行動力は度胸抜群。

ああいうのを見ると袁紹軍って人材豊富だったんだなあ、とかちょっと
思ったりしますね。


238:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2009/01/13(火) 15:14:08 ID:iFWaQ6s6O

>>233
斜陽の袁家を支えた策士…なんつったら格好良いのにね。頭も良いし、大胆だし。
業βの攻防は審配の奮闘ばかりが伝えられるけど、李孚も取り上げて欲しい。

袁紹の人材っつったら、陰キ(携帯から済みません。)とかもマイナーだけど大物。


240:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2009/05/29(金) 17:58:02 ID:xDyKE61t0

袁家を支えた人物では、王脩はいかがでしょうか?
袁譚を盛り立て、袁譚の死後も魏の忠臣として活躍がある割に
前線に立ってないせいか評価が低いという印象があるのですが。


241:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2009/06/13(土) 16:16:19 ID:aDHlF+UKP

華陀以外の方技伝のメンツはマイナーかな。
ちくま文庫にまとめられた中で、魏の4冊目に収録されている
連中は総じてマイナーな印象が付きまとっている気がする。
周宣は曹丕の夢分析(?)をしたりしているようだけれども。

三国志演義にそれなりにでも目立つ出番があるか否かがメジャー・マイナーの
境目じゃないのやっぱり・・・・


244:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2009/08/24(月) 23:55:36 ID:I153BeXx0

後漢の高官橋玄は?その清廉潔白な生き様といい
曹操の才覚を早くから認めるなんてなにげに凄いぜ。


245:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2009/08/25(火) 00:06:15 ID:4J8ObUff0

>>244
自分の子供が人質にとられた時、子供もろとも犯人を殺したんだよね


246:名無しさん@お腹いっぱい。[ ]:2009/08/25(火) 08:44:06 ID:GKlA1E8e0

呂布(蜀)とか


247:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2009/08/29(土) 11:05:31 ID:OnJtM07y0

>>246
やべ、その人しらない
どんな人?


248:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2009/09/02(水) 20:16:33 ID:/9AVVgXc0

>>247
246じゃないけど、確か関羽配下の部将だな
裴注三国志の夏侯惇伝に、219年、曹操軍が摩陂で呂布を破ったとある
同年、関羽が曹仁を樊城で包囲したとき連れてった(らしい)


251:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2009/09/07(月) 22:29:59 ID:BpbrjoYE0

>>250
おせっかいながら更に補足すると
集解なんかに、そこに出て来る「呂布」は誤文じゃないかとか関羽の間違いだろとか、いや、関羽のもとに五原の呂布とは違う呂布がいたんだろうとか、いろいろ言われてます。


258:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/02/05(金) 19:05:06 ID:/4zayRM/0

呉の丞相沇はマイナーな人物だと思う。


259:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/02/05(金) 22:53:53 ID:X5kijMrs0

>>258
呉にそんな名前の丞相いたっけ?


260:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/02/06(土) 22:47:19 ID:jlvXnqMF0

276年に孫皓が国山で封禅の儀式を行った際に建てた石碑(封禅国山碑)に
当時の丞相として名前だけ出てる。姓は不明。272年に右丞相万彧が亡くなり
279年に張悌が丞相に昇進してるので、その間に丞相を努めた人物と思われる。


261:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/02/06(土) 23:21:21 ID:Dzl2Yd+50

丞相なのに名前すら正史どころか注にすらに残ってないとは、
本当にマイナーだな。どんな人物だったのか気になるな。
まともな政治家だったのか軍人だったのか佞臣だったのか。


268:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/02/15(月) 15:36:05 ID:5IyzQb/M0

劉纂


269:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/02/16(火) 00:12:04 ID:jsuD/XKF0

>>268
劉纂は孫権の娘を二度娶ったことと能書家だったことしか分からないな


270:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/02/16(火) 00:51:26 ID:I4frtk+a0

劉基の息子ではないよね


271:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/02/16(火) 11:16:51 ID:ePSbfAZN0

他に父親候補として考えられるのは劉阿、劉邵ぐらいか。しかし
車騎将軍&孫権の娘婿と結構な重要人物だったろうに記述が少ないな。


272:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/02/16(火) 19:51:20 ID:O7SkP94a0

無理くり捻りだすと劉基の二人の弟、鑠と尚。
あとは劉璋の子、闡。


273:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/02/16(火) 21:13:48 ID:Kph6Y5Zp0

孫権の娘をめとるほどの呉で影響力のある名門で劉氏となると、
劉基一族しか考えられないな。劉纂は劉基の弟の子と考えるのが妥当そうな気がする。
劉闡の子なら、家柄的には超名門だけど、呉における影響力はなさそうだし。


275:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/03/25(木) 23:21:17 ID:u3mJK7UL0

>>274
岑昏は奸臣と言われてて、呉の群臣の憎しみを買っていたみたいだけど、
具体的にどんな悪事をしたかは記録にないんだよな。
あと、孫皓の機嫌を損ねて処刑されそうになった張尚を救ったり、いい事もやってる。


276:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/04/20(火) 02:51:05 ID:G4ztf5c40

韓浩が好きだ
あんまりマイナーじゃないか


277:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/20(火) 04:06:18 ID:GQp9sUmZ0

>>276
曹操が漢中を取った時、みんなが漢中の守りを韓浩に任せるよう推挙したが、
ずっと曹操の直属軍を指揮してきた韓浩には、国境の守りは畑違い過ぎると思う。
別軍を指揮したり要所を守ったりして活躍した諸将を差し置いて、
なぜ韓浩が漢中の守りに推挙されたのか良く分からない。


278:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/20(火) 18:21:35 ID:dVHMNJBq0

多数の軍団を統率する経験と能力に優れ、曹操への助言として戦略眼も示していたからだろう


279:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/20(火) 21:36:26 ID:GQp9sUmZ0

>>278
韓浩の中護軍は曹操の直属軍を指揮する役職で、
多数の軍団を統率する役職では無い。
また、史書では韓浩が多数の軍団を統率した経験はなく、能力も未知数。
戦略眼があっても、大軍の指揮をしたことが無い人物には、
劉備との国境の守りは任せられない。


281:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/21(水) 00:08:14 ID:q7bi/8SN0

>>279
そう言われても当時の魏の人々の多くはそう思ってなかったみたいだし、曹操が反対した理由もそういうものではなかったみたいだしなあ


282:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/21(水) 00:35:27 ID:qBxtrI/i0

>>281
曹操が反対した理由は、韓浩を外で使うより、手元に置いておきたかったからだろ?


283:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/21(水) 00:39:11 ID:aFEInTUj0

>>279
中護軍というのは、元々、大将軍や大司馬の遠征時にその下に組み込まれた諸軍団を総監した役職。
曹操の時代でも、中領軍とともに曹操直率軍全軍の総監を行ったと考えられる。

曹操が都督諸軍事制度を明確に置くまで、曹操軍閥の地方軍は、実戦各部隊を指揮する将軍達を
「護軍」が総督する形が取られていた(都督諸軍事はその権限強化版)。
西方でも、夏侯淵自身も長らく「護軍」であり、夏侯淵の死後を曹真・郭淮ら「護軍」が引き継いだ。

この時代の「大軍の指揮」というのは眼下に数万の野戦軍を並べて「全軍前進!」とかいうものではない。
広範囲の戦域に建築された陣地の取り合いを長期間に渡って行うものであって、
大局観や部隊間の調整・人事、兵站管理など戦略的軍政的が必要とされる。
必要とされたのは韓浩や郭淮のような人材であり、その傾向は魏の都督諸軍事経験者全般に当てはまる。


280:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/20(火) 23:32:37 ID:G4ztf5c40

韓浩を漢中にというのは張魯征伐から引き揚げる際の
軍議での話みたいだから、そのまま国境の守備に据えるというよりも、
後から武将を派遣するまでのつなぎ役として
征服したばかりの漢中をとりあえず鎮めておくのに
適任だと思われたのかもしれない。

関係ないけど、本人の能力については、
エン州のっとられの時も動揺する味方を上手くなだめていたようだし、
捕虜になった上司も見事奪還したし
とっさの機転が利くとかそういう印象がある。


282:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/21(水) 00:35:27 ID:qBxtrI/i0

>>280
守将というよりは鎮撫役かな?


284:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/21(水) 15:37:20 ID:qBxtrI/i0

劉岱の後任として長安から派遣されたエン州刺史金尚。
彼はなぜ、曹操がエン州を占拠してしまったら、袁術の元に身を寄せたのだろうか?
袁術はあまり名士受け良くなくて朝廷にもあまり忠実でなくて、新興勢力とばっか組んでるのに。
同じように鄭泰が袁術に仕えて揚州刺史になったのも謎だ。


285:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/21(水) 18:56:58 ID:aFEInTUj0

そりゃ、袁紹派曹操に追われて逃げたんだから、それと対立していた袁術に逃げ込むのは普通の選択。
袁術は少なくとも皇帝を名乗るする197年(或いは献帝を擁した曹操に賊徒指名される196年)までは
淮南を中核とした巨大勢力。
190年の反董卓決起でも、翌年まで戦線を維持していたのは袁術(and孫堅)と朱儁(and陶謙その他)だけ。
同じ時期に袁紹らは長安に見切りをつけて劉虞を擁立しようとしていた。
そもそも群雄割拠の引き金となった豫州攻撃を先に吹っかけたのは袁紹の方。
張超や陳宮も袁紹派と戦って不利になると袁術と結ぼうとしている。
曹操も袁術と交戦中に足元が不安になって楊彪に適当な罪を吹っかけて排除しようとしている。

袁術は選択を誤って皇帝を自称してしまったので、漢魏交替を正統とする史観によってあることないこと
言われているし、当時袁術に味方していた群雄や名士達も「騙されていたので」とか「無理矢理脅されて」とか
言い訳しているが、皇帝を名乗るまでは淮南から江東・徐州へ影響力を広げようとする中原二大勢力の一つだった。


286:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/21(水) 19:30:21 ID:qBxtrI/i0

>>285
でも、当時朝廷と対立してた袁術に身を寄せるよりなら、
長安に帰る方が漢の官吏としては正しい身の処し方だと思うのだが。
実際、地方官に任命されたものの、赴任できないで帰ってきた奴は他にもいるんだし。
赴任できなかったら帰るのが筋で、正式な漢の高官が朝廷と敵対してる人物に身を寄せることはないと思う。


287:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/21(水) 19:53:44 ID:aFEInTUj0

>>286
その当時というのは董卓か李カクが政権をとっていた時代(間に王允もいるが)。
皇帝へ忠誠を誓って董卓政権下に留まったり集まった名士というのは少なからずいたが、
逆に自分の身を守って朝廷から逃れるために地方官僚の座を利用する者も少なからずいた。
言ってしまえば、この時代の地方群雄というのは九割方後者の類(例外は張燕など少数)。
それは個人の選択であって、この時代の流れからは特筆するようなことではない。

ついでに袁紹と袁術は李カクから正式に将軍位を貰って形上は修好している。
袁術はその使者である馬日テイを拘留したりもしているけど。


288:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/21(水) 22:24:03 ID:qBxtrI/i0

>>287
袁術の左将軍就任は193年、金尚のエン州刺史就任は192年だから、
金尚が袁術に身を寄せたのは、袁術は長安政権と修交する前で、まだ朝廷と敵対している。
金尚が正式な刺史なのに、朝廷と敵対している袁術に身を寄せたのは、
長安の朝廷にいるより、袁術の元の方が安全と思ったからか。
金尚の人柄を考えれば、自分の一身の安全を図る人間には見えないが。


289:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/21(水) 23:41:55 ID:aFEInTUj0

その基準で言うなら、三国の立役者であんたの眼鏡に適う「人柄」の持ち主は数人しかいなくなる。
高官では鍾ヨウくらいしかぱっと思いつかない。
他の人間は全員「自分の一身の安全を図」って身を処した。

というか、忠より孝が上位、自分の家を護り継ぐことが最上の美徳の時代だったから、
自分の身を守ることに成功するのは賞賛されることだった。


291:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/04/22(木) 16:34:16 ID:QSfuQXCp0

エン州大反乱のどさくさにまぎれて、エン州に数万の兵を率いて乗り込んで追い返された予州刺史郭貢。
数万の兵を率いていたと言うから、その勢力も相当なもので、中原では大勢力だったはずなのに、
名前が一度しか出て来ない。どこに消えたかも不明。
そもそも誰が任命した予州刺史だったのか、数万の兵力を有する大勢力がいつの間に消えたのかなど、
謎は深まるばかり。


292:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/05/15(土) 15:26:01 ID:ijC0c48R0

陳登はマイナーかな?

横山三国志では徹頭徹尾劉備の味方として
描かれるも親父の陳珪のほうが目立ち、
劉備が徐州を追われたあとはあたかも
親子ともども曹操に罰されるのではという
雰囲気を出しつつフェイドアウト。
そのごしばらくしてなぜか占い師の引き立て役として
再登場する。


293:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/05/15(土) 19:46:44 ID:zFx52RKyP

>>292
陳登はマイナーじゃないと思うよ。
演義や横山三国志や吉川三国志しか読んでない奴ならともかく、
正史を読んだらあちこちに出てくるし、
政治に軍事に活躍してて名高い文武両道の名将。
30代で伏波将軍とか、半端ない破格の出世。


304:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/27(金) 12:35:35.71 ID:aNn3zU7z0

>>293
田予や陳登は、劉備と一緒にいればもっとメジャーになれたかもなぁ・・・・・
才能はピカ一だが、早期に曹操の下に落ち着いてしまったので、あまり取り上げられなくなった感じだ
それでも、陳登は対呂布の埋伏や壮絶な死に方で目立ってる方だと思うけどね


295:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/07/16(金) 23:01:06 ID:Feh4qAjg0

人名辞典に載ってた趙国達、趙貞娘兄妹
趙貞娘(226年?-248年?)は3世紀ごろのベトナムの反乱指導者。248年に兄・趙国達らとともに呉に対して反乱を起こした。
象にまたがって民衆を指揮したとされ、「麗海婆王」と呼ばれて恐れられた。はじめは連戦連勝で呉軍を蹴散らしたが、陸胤が兵を率いてくると半年にわたる激戦となり、最後は河に身を投げたとも、象に踏まれて死んだとも言われている。
陸胤は趙貞娘が生娘であることを知って素っ裸になり、趙貞娘が恥ずかしがったところを打ち破ったという話がある。
身長9尺で、3尺もの乳房を持ち、それが鎧におさまらなかったために肩にまわしていたという話もある。
http://yy62.60.kg/test/read.cgi/minasaba/1207631342/273より


300:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/04/06(水) 22:31:36.74 ID:7bEzdQvk0

演義で姜維に別働隊任されてぶった切られた鮑素は?


301:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/04/08(金) 08:19:11.92 ID:qvP+9bhWO

スイ固は?
なかなかの人物だけどマイナー
某ゲームで顔だけは有名ぽいけど


305:名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/06/13(月) 23:37:01.70 ID:/GTPnc3dO

マイナーじゃないんだが
関平って荊州失陥後なんとか蜀に逃げれたら
どこまで出世出来ただろう


314:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/07/02(土) 00:47:33.12 ID:ZKfOarEr0

>>305
能力的には牙門将クラスだろうけど名門だから安東将軍まで出世とみた


309:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/18(土) 15:11:52.64 ID:LtvVpBia0

劉封がらみで養子属性追加の疑いが濃いんだっけ?
義兄がまだなのに関羽に子供がいるのは云々とかいう


310:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/19(日) 02:05:42.30 ID:XNCLMPF+O

既に劉禅が居たわけだが


311:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/19(日) 18:32:28.98 ID:O0u4Msn50

正史だと劉封の養子入りが劉禅が生まれるより前なんだが・・・・
演義になると劉禅が生まれるのが先で劉封を養子にするときに
関平を養子にした関羽が小言を云う訳ワカメな展開


313:名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/25(土) 21:17:35.96 ID:BsLexG9PO

楊秋は曹操に手紙を送り、特進にまでなったのに知名度なし
あと陶侃


呉の孫権時代末期には王表という人物が登場します。
この人物は透明人間だったとされています。
紡績という巫女が仕えており、身の回りの世話をしていたようですが、この紡績が腹話術などを使って王表の存在を演出していた可能性もあります。

神として祀られ、呉の文官と論争をして勝ったりもしましたが、孫権の病気を治すように依頼されたものの成功せず、行方不明になりました。

先日、文藝春秋に連載されている宮城谷氏の三国志を読みましたが、ちょうど王表が登場する回でした。


目 録

【スレタイ】 【三国志】マイナーな人物を語る【魏呉蜀】
【サイト・板】 2ちゃんねる 中国英雄板
【URL】 http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161672946/
【分野】 歴史 三国志
【状態】 現行スレッド
【修正情報】
  • >>90に基づき、>>89の「?慮」を「ケキ慮」に、「?公」を「ケキ公」に修正
【印刷用ページ】 印刷用
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2012/01/17(火) 09:25:30|
  2. 歴史
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:1
<<【記事紹介】毒物や毒殺事件の豆知識のまとめ | ホーム | 【完全犯罪】警察にばれない毒殺の方法とは?>>

コメント

良スレです

元スレッドには、さらに多くの人名が載っていましたが、
名前だけ書かれていたりしてそのレスでどんな人物なのか説明されていないような場合は、
このまとめ記事に載せませんでした。

レスを魏・呉・蜀に分けようかと思いましたが、一つのレス内で複数の人物について語っている場合があるのでやめました。

王表の手口は、現代でも通用しそうですね。
電話やネットがある分、架空の教祖というものを作り上げやすくなっています。
  1. 2012/01/17(火) 12:34:38 |
  2. URL |
  3. 紀要管理人 #-
  4. [ 編集 ]

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